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橙系ののれん
ラーメンって美味しいですよね! 醤油、塩、味噌、豚骨、激辛系、家系などなど… さて、このラーメン屋を想像してみてください。 それは「のれん」です。 では、そののれんの色は主に何があるか… 実はこの「のれん」には「橙」がよく似合っており、 橙というのは、赤と黄の中間に位置しています。 色の中でもビタミン的な役割を果たしていて、 これを使わない手はないです! ではまた、想像してみてください。 みなさんきっと唾を飲み込んでしまうのではないでしょうか。 外からも中の賑やかさを感じ、つい足を踏み入れて 橙ののれんには、このようにお客さんを引き込む タイトルにあるように、アイキャッチ力を持つと言うのは ぜひラーメン屋さんにはこの組み合わせを推奨していきたいです。 なんだかラーメンを食べたくなってきました。 日本で最初のラーメン店「来々軒」|日本とラーメンの歴史日本で最初のラーメン店は、1910年(明治43年)に東京の下町浅草で創業した「来々軒」です。 明治時代には横浜開港とともに、中華料理の豚骨の塩スープの汁麺が上陸していました。 しかし、日本人には馴染みがない味で、中国人のためのメニューでした。やがて日本人好みのさっぱりした味の鶏ガラスープが登場するのです。 横浜中華街の中国人12名を招き、浅草に開業した大衆料理店がこの店でした。 日本初のラーメン専門店として、人気を得るのです。東京ラーメンの草わけとされ、日本におけるラーメン店の原点です。 この頃のラーメンは「支那そば」と呼ばれていました。 ほぼ具なしで、シナチクやチャーシューも乗っていなかったといわれます。 大正時代に入るとラーメンを出す店舗は増えますが、関東大震災をきっかけに、店を失った中華料理のコックがラーメン屋台を引くようになります。 屋台のラーメンが広がり、さらに庶民に親しまれるようになります。 戦後には「支那そば」という呼び名から、「中華そば」と呼ばれるようになるのです。 浅草の店は残念ながら1944年(昭和19年)に閉店しています。戦後に東京の八重洲口に新たな店を出しますが、1994年(平成6年)に閉店してしまいました。 「来々軒」の店はもうないですが、店で働いていたコックの店がいくつか存在しています。 日本初の、古き良きラーメンの味を受け継いでいるのです。 ............................................................... |
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